世界はウルマ一家の受難について知らなければならない。
10.09.2023
2023年9月10日、カトリック教会によってウルマ一家が列福されることは、同じポーランド人として、ポーランド人の誰もが誇らしく思っています。この列福は宗教の枠を超え、人間の尊厳を究極に体現した英雄たちへの敬意を意味しています。
色褪せ、使い古された聖書。善きサマリア人のたとえの箇所が開かれ、手書きで引かれた赤線に「これだ!」の文字。– ポーランド南部のマルコヴァ村に佇む「ウルマ一家記念第二次世界大戦中ユダヤ人を救ったポーランド人博物館」を思い出すたびに、目に浮かぶのはこの展示品です。
この聖書は、ウルマ・ユゼフと妻のヴィクトリアのものでした。夫妻はポーランドの農民で、自宅に8名のユダヤ系ポーランド人を匿いました。サウル・ゴールドマンと4人の息子たち、ゴウド・グリュンフェルド、レイ・ディデルと幼い娘です。1944年3月24日の夜明け前、マルコヴァの農家にドイツの憲兵たちが押し入りました。匿われていたユダヤ人と匿っていた者たちが銃殺されました。ユゼフ・ウルマと身重であった妻ヴィクトリアのみならず、幼い6名の子供たちまでが犠牲になりました。
ナチスドイツによる占領、ホロコースト、多くのポーランド人が大量虐殺の犠牲になったことは、祖国の歴史の重要な一部であり、今も尚、胸が痛みます。ウルマ一家の行いと運命については、多くのポーランド人が知る所であり、毎年3月24日は「ナチスドイツ占領下でユダヤ人を救ったポーランド人の日」として祝日に制定されています。
第二次世界大戦前、ポーランドにはユダヤ民族の歴史上、屈指の規模を誇るユダヤ人社会がありました。ユダヤ人は幾世紀にもわたってポーランドに進んで入植、定住し、ポーランドを「ここで休む」を意味する「ポリン」と呼んできました。ポーランドにおいて平和と発展の機会を享受していたのです。首都ワルシャワは1930年代末にはニューヨークに次ぐ世界第2位のユダヤ人街を擁していました。
ドイツの悍ましいユダヤ人絶滅計画-非人間的、機械的、工業的と言っても過言ではない-は、この事実を踏まえてのことでした。だからこそナチスドイツは占領下のポーランドに、死の工場を建設したのです。絶滅収容所には、第三帝国(ナチス)に征服された諸外国からのユダヤ人たちも輸送されました。一方、ポーランドは何世紀にもわたって寛容な国家であり、キリスト教的価値に基づいて文化、社会が形成されていることで知られていました。そのため、ドイツの占領軍当局は殲滅計画に対する非難と抵抗を予測していました。そこで、我々の土地であるにも関わらず、隠れているユダヤ人を支援しようとする者は即刻死刑に処すと脅したのです。このような厳しい制裁にも関わらず、数千人ものポーランドのユダヤ人たちが、生き延びるための支援を得ました。ゲットーからの脱出、隠家の提供はもちろん、食料品、金銭、偽造書類の手配といった支援の手が差し伸べられました。
現在も歴史家たちによって、当時の悲惨な状況が解明され続けています。これまでにユゼフ・ウルマと妻ヴィクトリアを含む7000人以上のポーランド人がエルサレムのヤド・ヴァシェム(Yad Vashem、ホロコースト記念館)より「諸国民の中の正義の人」の称号を授与されています。この尊い「正義の人」には、国籍別ではポーランド人が最多数を占めています。同時にポーランド政府および国立機関は、当時の無名の英雄たち-とりわけ、勇気ある正義の行いによって命を落とした方々に敬意を払い、後世に伝える活動を継続しています。
2023年9月10日にウルマ一家がカトリック教会に列福されることは、ポーランド人にとって極めて誇らしいことです。この列福は宗教の枠を超え、人間の尊厳を体現した至高の英雄たちに対する敬意です。震撼させられると同時に、隣人愛の証として建設的でもある彼らの受難の歴史は、世界が知るべき事実です。人の心に変化をもたらす、他者への寛容さと連帯の模範として。
アンジェイ・ドゥダ
ポーランド共和国大統領
このテキストは、国立記銘院とポーランド国家財団との歴史プロジェクトの一環として、ポーランドの月刊誌「最も大切なことのすべて(Wszystko co Najważniejsze)」に同時掲載されました。